音楽用語辞典


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Modest Petrovich Moussorgsky (1839〜1881)

19世紀ロシアの代表的な作曲家。彼の名はロシア「5人組」の一人として名高い。

1839年3月21日、ロシアのプスコフ州で生まれました。ムソルグスキー家は裕福な家庭でした。音楽好きの両親の影響ではやくからピアノに親しみました。若干7歳でフランツ・リストの小品を弾きこなし、9歳ではジョン・フィールドの協奏曲を披露するなど幼いころから驚くべき才能を発揮していたそうな。

しかし当時は職業音楽家の地位は低く裕福な家の者が音楽で生活することなど考えられないことでした。ムソルグスキーも音楽家になるなどとは少しも考えてはいないようでした。13歳のときに陸軍近衛士官学校に入学、軍人になるべく教育を受けました。当然そこは音楽を勉強する環境ではありません。しかしそんな中でもピアノの練習は続けていたようです。そして記念すべき第1作目「旗手のポルカ」が誕生します。「旗手」というのがいかにも軍人らしいですね。この曲は父の出資で出版されたそうです。さすが金持ち!

こうして地道に音楽を勉強を続けましたが17歳で学校を卒業するとプレオブラジェンスキー近衛連隊に入隊、いよいよ軍人となりました。このころ「5人組」のメンバーであるボロディンに出会います。さらにキュイやバラキレフとも知り合いました。そのうちバラキレフにレッスンを受けるようになり多くの作品を書き残します。

19歳のころムソルグスキーは精神的に不安定な状態となり夏には軍を辞めます。その後もバラキレフのレッスンは続きオーケストラについても勉強しました。ムソルグスキーはこのころから愛国心が湧き起こりロシア語やロシア文化に密接にかかわりあった作品を生み出します。

たびたび精神衰弱を経験し、さらにロシアの「農奴解放令」に伴って経済的に苦しくなりました。そのため完成までこぎつける作品が少なくなりました。24歳のとき交通省へ就職が決まり27歳で顧問官へと登りつめましたが翌年クビに。その背景には26歳のとき母親が死去するとアルコール中毒になってしまったことがあります。芸術について深く考える一方、精神的にはボロボロだったのです。

30歳のとき再び国有財産省の役人となります。作品も順調に書き進んでいきました。しかし今度は劇場の都合でオペラが上演できないなどの不運が続き完成作品が減ってしまいます。

35歳のとき代表作の「ボリス・ゴドゥノフ」がようやく全曲上演がかない幾度も再演されました。同年には「展覧会の絵」も完成しました。しかしその後も精神的に不安定であったことにはかわりはなく、そのうち音楽仲間とも疎遠となっていきました。

41歳のとき役人を辞すとムソルグスキーは「ホヴァーンシチナ」、「ソロチンツィの定期市」を完成させることを条件にお金をもらい生活していましたがどちらも未完成に終わりました。

その後、生活は破綻しアルコール中毒、精神異常で入院すると42歳でこの世を去りました。

代表曲

ピアノ曲「展覧会の絵」、管弦楽曲「はげ山の一夜」、歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」、 歌曲「死の歌と踊り」…など。

 

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